瞑想の基本

瞑想の基本は、アジュニャーチャクラへの(眉間)集中から始まります。勿論、流派によって諸説あるとは思います。
私が学んだタントラヨーガでは、ここから始めます。本来、アジュニャーは第六チャクラで、人体上では最上位のチャクラになります。頭頂サハスララは頭の上の空間に存在しているため、私の流派では、人体上にはとらえていません。
人体上最上位のチャクラであるということは、覚醒させる事が難しいと考えられますが、ここから始めるには訳があります。アジュニャーとは、命令を意味しており、アジュニャーが活性化することで、身体と心と言葉や、エネルギーなどをコントロールしやすくさせる為、危険度が軽くなるということなのです。
ここで、面白いのが最近の脳科学の世界では、鼻で呼吸をすると、前頭葉が活性化されるという研究報告がなされていることです。前頭葉とは、勿論インドでは、アジュニャーチャクラとして知られています。
瞑想の際に、鼻で呼吸するというのも瞑想の基本です。
さらに、舌を口蓋に付け、シャンブハビムドラーという眉間を凝視するテクニックを使うことで、より、前頭葉を活性化する事が出来るのです。
これらの大昔から伝わる脳の活性方法が、今、証明されてきているというのは実に面白い事ですね。
要は、あらゆる注意力を上へ上へと、向けるという事が重要だということです。
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# by mikokoro-org | 2013-07-14 10:06

チベット高気圧

毎日暑いですね〜

この暑さはチベット高気圧のせいらしいですね。チベット高気圧という言葉自体、聞くのは始めてでしたが、チベットの空が日本上空を覆ってこんなに暑いなんて、不思議な感じがします。

阿弥陀来迎図という仏画があります。
西の空の極楽浄土から虹色の雲に乗って眷属を伴った阿弥陀さんが、お迎えにおりて来るという図柄ですが、その様なイメージが私はします。
暑くなるのはちょっと困りものですが、チベット高気圧は阿弥陀来迎図の世界なのかもしれないですね。
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# by mikokoro-org | 2013-07-13 00:09

出離

16歳の頃、自然農園で一緒だった昔の友人と懐かしい話をしていて、その頃の事を思い出しました。
彼は、その後も田んぼや畑をやりながら、自然農的な暮らしを続けていますが、私の良き理解者であり、将来共に自分達の農園を作りたいと考えている同志です。
お互い、人生の在り方を真っ向勝負で取り組んで来て、彼も若い頃はインドやヨーロッパ、アメリカ、アフリカと旅した経験があります。
そんな彼と話していたら、自分の若い頃の苦悩も思い出したので、それを少し書いてみます。

私は子供の頃から、家の中を彷徨う霊魂が見え庭にお祭りされているお稲荷さんや、弥勒はじめ、様々な仏像と話していました。なんといっても、こんな幼少期も小学生まではまだ良かったのですが、中学生くらいになってくると、自分の存在に疑問を持つようになってきました。私の中では、自分は何者なのか?という疑問に取り付かれ、壊れたレコードのように、頭の中でこのワードがリピートしていました。なんといっても、何をしていても楽しくないのです。友達と遊んでいても、絵を描いていても、楽器の演奏をしていても、とにかく、悩める頭脳を鎮めることは出来ませんでした。しかし高校に行くと私の人生を一変してくれる家族と出会います。私にとっては第二の父母ですが、お父さんは生き様を教えてくれました。そしてお母さんは瞑想とヨーガの世界を私に開いてくれました。
これこそが、私の長年の疑問である、自分とは、何者なのか?ということに対する答えに違い無いと確信しました。その明確な答えが、私を更なる探求に駆り立てました。
このまま、日本で無駄に時間を過ごしてはならない。学校を辞め、日本を出る覚悟を決めました。
今だに実家では、笑い種なのですが、実際父親に学校を辞めると、言った時に、私は、父に「皆は実際の畑を耕すが、私は心の畑を耕す」と、言ったらしいのです。これはミラレパの言葉なのですが、父はこのセリフに痛く感心し、高校を辞め、日本を出ることを承諾してくれたのでした。
この時、私は16歳でした。
一年後に日本を出ることに決め、毎日早朝から朝5時からアルバイトをし、この日のためにせっせとお金を貯め始めたのでした。

と、自分の旅の始まりを回顧してみましたが、これからが更に色々と大変な人生になるわけです。
まあ、全ては自己を完結させる為の厳しい道のりだったわけで、今では数々の普通では決して出来ない経験を与えてもらった事に、感謝しかないわけです。
人生って素晴らしいですね。
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# by mikokoro-org | 2013-07-11 12:31

無駄な時間は無し

無駄な時間は無し。全ての時間とその経験に無駄なものは一切ありません。
私にも、20歳の時面白い経験がありました。10代の頃は、18歳でタントラ、クンダリニー、クリヤなどの伝授を受け、スワミの称号まで貰いましたから、その成果でのんびりしていましたが、20歳以降チベットの仏教の修行に入ってからは、時間が勿体無くて仕方がありませんでした。なるべく沢山の教えをラマから伝授して貰いたくて、必死でした。チベット特有の行法マーヤというものに陥っていました。
その20歳の誕生日の頃、私はカギュ派のシトゥ・リンポチェのお寺に居たのですが、待てど暮らせどリンポチェは帰って来ず、長いこと無駄な時間を過ごしました。行法を伝授してもらうことが命だった私には、無駄だと感じていたのですが、実際はとても実り大き時間でした。ヒマラヤに接する松の森の中にひっそりと建つ、人ひとりがやっと入れる小屋で、毎日14〜5時間の瞑想をして過ごしていました。この先にはヒマラヤのみがあり、人っ子一人いない、完全なる静寂の中で瞑想と共に過ごしたそのふた月はかけがえのない経験になっています。その頃は、目的が違っていたために、無駄だと感じてしまっていたのですが、今思えば、超宇宙でした。
本当に無駄な時間というものは存在していないのです。ただ無駄だと思っているだけです。人生とは、この様な無駄な時間の集積のように思えてしまいますが、実際はそのひとつひとつが、私という存在を作りあげていくものであり、神の美学だと私は考えています。
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# by mikokoro-org | 2013-07-09 23:45

修行とその果

最近では、精神世界の本は多く、沢山の人たちが、この世界に興味を持てるようになりました。これは素晴らしいことです。
私達自身は、ここ十数年全く本は読んでいないので、風の噂の理解なのですが、最近の精神世界の教えに顕著なのは、悟りなどの結果が簡単に手に入るというような風潮です。
勿論、既存の宗教などの教えはその文化的な不純物も多く、私達にとっては無駄な事が沢山含まれているというのも事実です。
しかしながら、これらの果というものは、人によって境地は様々ですし、何が正解なのかということは、それこそ神のみぞしる。ということになります

しかし、かつての修行者や、成就者たちは、共通して、相当な苦行をしてきた。ということです。確かに、現代人にとって、かつてのような修行は必要ないとも言えるのですが、悟りがコンビニで買えるようなものであるという解釈は間違っています。
自分の修行と、その経験が寄り添わなくては、果は生じる事はありませんし、絶対的なものや、生きとし生けるものに対する愛の心を養わなければ、当然のことながら、悟りが得られるということはないでしょう。
この修行の世界は、難しく捉えてしまえばマーヤになりますが、簡単に捉えすぎてしまうと、失敗に終わってしまいます。
ですから、ちょっとワークショップにでてみたり、教えを受けたぐらいでは何も起こりませんし、それを忍耐強く実践していかなければ結果は望めないものです。
教えを受けるというのは正に種まきの様なものです。蒔かれた種を育てていくのは、私達自身なのです。
故に、修行に携わる者は真摯な心構えと、マーヤに取り込まれない柔軟さ。などのバランス力が必要になってきます。
その辺に留意し、愛の心を育てていきながら、精進していってもらいたいと思います。

修行とは、一日にして成らず。
自らの生き様こそが、正に果である。
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# by mikokoro-org | 2013-07-08 01:02

カルマヨーガ

今日は、カルマヨーガについて書いてみます。
私の師、スワミ・サッティアナンダは、カルマヨーガの重要性を常に語っていました。その教えを受けていた当時は私はまだ18歳という若さでしたので、その意図するところは理解出来ずにいましたが、ギータなどでもそうですが、カルマヨーガの重要性は、あらゆる所で解かれています。
カルマヨーガとは、簡単に言うと、行為の瞑想ということになりますが、あまりにも漠然としていて、本当の意味を理解する事はなかなか難しいものです。また、ヨーガや、修行を実践する者からすると、あまりにも地味で、面白みに欠けるということもあります。なぜならば、私達は、普段普通に行為していますから、これを瞑想に昇華するといっても、その意図するところはなかなか難しいものです。
私の居たアシュラムでは、カルマヨーガというと、労働でした。キッチンや、掃除など、労働は様々でしたが、私はガーデンで働くことになりました。しかし、40度を越える炎天下での肉体労働はさすがに堪えました。私は若い頃から畑をやったり、フランスで庭師をしたりしてましたので、迷うことなくガーデンをチョイスしたのですが、インドという厳しい土地で、午前、午後と働くのは、なんとも過酷でした。
私からすると、カルマヨーガとは、そんな労働をイメージしてしまうので、あまりいい印象がなかったのですが、カルマヨーガの本質が理解されてくると、その重要性もわかってきます。
では、カルマヨーガとは一体なんなのでしょうか?
一言で言えば、完璧なる行為です。
では、完璧なる行為とは、どのような行為なのでしょうか?
それは、常に、瞬間瞬間に目覚めているということです。
要は、為すべき行為を自覚的に、行うという事です。
この辺、またゆっくりと書いていきますね。
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# by mikokoro-org | 2013-07-06 22:21

友人の死。

今日、30年来の友人が他界しました。
その亡くなる同時刻、空には見事な虹がかかりました。
ここ日本では、あまり見たことの無い、オレンジ色がスパークしたような見事な虹でした。
明らかに普通とは違う虹にもしや?と、思いましたが、その予感は外れてはいませんでした。
チベットでは、偉大なる行者が昇天する時、空、風、火、水、地のエレメントは、それぞれ光となって空に消えて逝きます。
ゾクチェンでは、それを虹の身体と呼んでいます。私達ゾクチェンの修行者は、その虹の身体を得るために、特別な修行をします。
しかし、彼のように、別に特別な修行をしなくても虹となって、逝く事が出来るというのは、私にとって、大きな驚きでした。

さらに、それだけではなく、ここ数日彼が放っていた愛のエネルギーが、また凄かったのです。彼自身は病床で苦しんでいたにもかかわらず、そこには大きな力が存在していました。
それは、この世界は全て愛によって成り立っているという事を表しているかのようでした。
喜ばしい事では無いけれども、決して悲しくは無く、感動的な最期でした。
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# by mikokoro-org | 2013-07-02 16:59

簡単な事

難しい事より、簡単な事から始めよう。
一日の終わり、ベッドに入る前に瞑想や、祈りを行う。こんな簡単な事でも、毎日毎日続けていけばそれは確実に自分のものになってきます。
たったの2〜30分の事です。
瞑想は、他のプラクティスとは違ってなかなか結果が見えてこないものです。なので、諦めてしまう人も多いのですが、やったりやらなかったりよりも、毎日の積み重ねが大切です。
短くても良いのです。
その繰り返しが、人生を作っていきます。
これは間違いのない事です。
さあ!祈りとともに床につきましょう。
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# by mikokoro-org | 2013-06-26 23:48

岡山

先週は岡山で初の勉強会がありました。実行委員の皆様お疲れ様でした。
懐かしい顔ぶれもちらほらあり、とても楽しかったですね。
今後の発展が楽しみです。

そして、その後我が弟の所に一泊して来ました。岡山の山間部に移住して暫く経ちますが、弟や、みんなとの再会を楽しむことが出来ました。
弟は、私とは7歳はなれていて、小学生の頃から、私が世話になっていたぽっこわぱという農場に出入りし、高校生になってからはバイトしたりもしていましたので、本格的に人生の本題に入って行くことが出来たのかなと、思う所であります。
ぽっこわぱの話はまた詳しく書くとして、今、弟の所には高校生の頃同級生だった友達がさらに二人、家族と共に東京から移り住みました。
今後もさらに増える可能性はあります。みんなぽっこわぱの子供達で、農と共に生きる人生というのを若い頃から経験している子達です。
私にとってはみんなかわいい弟たちなんですが、岡山という地に根を下ろし、これからの未来に向けて、人の生きる道を明るく照らしてくれると思うと、喜びはひとしおです。
この小さなコミュニティが、成長していくのを楽しく見守っていきたいと思っています。
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# by mikokoro-org | 2013-06-25 08:04

いきなりですが…。

いきなりですが、ブログを始めてみる事にしました^ ^
なにしろ潮の流れが無くなると、全く書けなくなってしまうので、今回のこのブログもどうなるか分かりませんが、周りからも書いて欲しいなどの声もあるので、ひとまず始めてみましょう^^;
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# by mikokoro-org | 2013-06-22 19:25