半ば目覚めている者と、
完全に目覚めている者がいた。
ある時、眠っている者が起こる出来事は偶然だと言い、
半ば目覚めた者が起こる出来事は必然だと言い、
言い争いになった。
それを見ていた完全に目覚めた者は、
この全てが必然だと見ていた。
これは、ものの捉え方の問題だが、
半ば目覚めた者は必然だという考え方をしているだけであって、本当に必然だということを理解している訳ではない。ところが、完全に目覚めた者は、全てが必然であるという理解を体験を通して真の理解に到達している為、こういった論争に巻き込まれる事がない。彼の眼には全てが完璧に見えているのだ。
我々からすれば、完全なる理解に到達した者を理解する事は宇宙人と友達になるようなものだ。
その頭の構造を理解する事は不可能に近い。
よって、彼を知る事は出来ない。
しかし、我々自身が完全なる理解に到達するならば、彼を知ろうとしなくても、彼を理解する。
もはや、我々も宇宙人になったのだから。
叡智というものは、このように、知る者だけが知る事であり、常に、少数の人間によって明らかにされているのである。
▲ by mikokoro-org | 2017-06-30 23:11