この世界は母性によって
成り立っている。
この世界は母の愛の
現れである。
私達が母親無くして
ここに存在しないように。
この世界は母無しでは
存在しない。
これからの時を
母性は開く。
母性無くして
愛は無く
母性無くして
我々は居ない。
母性を知らなければ
片手落ちである。
母を知り、
愛を知る。
この世界、
我々自身。
その存在理由が
それによって明かされる。
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by mikokoro-org
| 2014-11-26 01:13
神とは、
人の観念が創り出したものである。
では、神は存在しないのか?
いや、圧倒的な存在がそこにはある。
しかし、それを誰かが体験したとして、
それを表現すると、
その後、それは観念となる。
神とは、観念を超えた存在であり、
それは観念で捉える事は出来ない。
それは知識ではなく、
観る体験である。
もちろん、
観るとは見ることではない。
何故ならば、その体験において、
見るものは無く、
彼を見るのは
彼自身だからである。
そして、これを語ると、
これはまた、観念となる。
よって彼を表現する事は
不可能となる。
全くもって、それを知るのは
それを知る者のみである。
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by mikokoro-org
| 2014-11-21 20:53
頭の理解ではなく、
魂の理解が重要である。
魂の理解とは、
魂が解き放たれる体験であり、
それは、一切の理屈を覆す。
真の愛に触れるのも、
真の叡智に触れるのも、
そして、真の実在者に出会うのも。
これらは全て、
神秘的な体験である。
日常的な意識に囚われながら、
頭で理解することとは、
全く次元を異にする。
私達は頭の理解で生きてきている。
しかし、起こることは、
頭の理解を超えている。
そして、しばしば混乱する。
何故ならば出来事は
コントロール出来ないからである。
にもかかわらず、
我々はそれを頭で再び理解しようと
務める。
しかし、それは理解されることはない。
何故ならば、
出来事とは我々の理解を超えた所で
起こっている計画だからである。
そして、それを理解するまで、
私達は混乱し続ける。
しかし、全ての出来事には
明確な目的がある。
それは愛である。
愛という目的の為に、
愛は、愛を行う。
愛が源であり、
愛が私達を生かす。
愛が全てであり、
愛が私達に経験を与える。
この宇宙には愛しか無く、
私達の存在もまた愛である。
その愛によって
全てが必然的に回っていると
知るならば、
私達は永遠の命を得る。
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by mikokoro-org
| 2014-11-04 22:34
選択肢がある限り
正しい選択を求める私達は、
ループし続ける。
唯一絶対なる者が存在している。
唯一なる者は
唯一であるが故に、
一切の選択を超える。
そして、全ては終焉する。
我々のループを終わらせる、
絶対なる者が存在している。
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by mikokoro-org
| 2014-11-01 01:10