2013年 10月 22日 ( 1 )

意図

私個人の表現で意図というものがあります。
私が使う意図という言葉は、普通使われている意図という言葉とは少し違います。
ここで、この言葉の説明を少ししましょう。
私達が瞑想法などを行う場合、集中をしますが、集中はそれを行っている時、他の事を行うことが出来ません。集中はあくまでも集中であって、対象に注意を向け続けなければなりません。このやり方だと、真理に集中する時間は限られ、多くの時間を無駄にしてしまいます。
そこで、意図をするわけです。
私が言う意図とは、集中することなくして、対象に意識を置いておく方法です。これだと、あらゆる行為を行いながら、かつ意識はそこに留めておくことができます。
もちろん、この意図が行えるようになるには、それまである程度、対象に対する集中が行われなくてはなりませんが、その結果、意図出来るようになると、1日中、そこに意識をおいておけるようになります。
そうなれば、1日24時間修行しているようなものになります。
私達は何を思っているかで、思っているものになります。よって、真理が意図されているならば、私達は容易にそこに近づく事ができるのです。
この意図のやり方を例えると、例えば、あなたが家にひとりで居る時と、誰かと居る時の違いを思い出して下さい。ひとりで居ると、自分のやりたい事に没頭してますが、誰かが居ると、例えその人が何か。例えば静かに本を読んでいたとしても、あなたはその人の気配をずっと感じ続けています。しかし、その気配を感じつつも、あなたは相手を気にせず、行為をします。
この感じです。
あなたが部屋にひとりで居る時に、その気配を感じながら過ごせば良い訳です。
簡単なことですが、集中するわけでもなく、集中しないわけでもなく、というのは難しく感じるかもしれません。
しかし、コツを掴んでしまえば、あなたは1日中それを意識し続けられるようになります。
これが、私の言う意図の方法であり、禅定が行住坐臥になるという事にニュアンス的には近いと思います。
チベットやイスラムなどの国々では、起きている間、絶えず数珠を繰りながら神の御名を唱え続けます。この方法だと、より集中に近くなりますが、このジャパを続けるというのも、意図の感覚を掴むためには有効な手段だと思います。
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by mikokoro-org | 2013-10-22 14:50