2013年 10月 08日 ( 1 )

超越的な理解

頭の理解は、あくまでも頭の理解であって、それは真に理解していることとは違う。
真の理解とは頭ではなく、輝きである。
直感的な。もしくは飛んで来るような、スパークするような。もしくは…。
言葉がない。
それを指し示す良い言葉がない。
何故ならば、それは未知なる体験だからである。
本などから学ぶこととは違う。

その経験は一切の形象を超えている。
空っぽだ。とか、無だとか考えるのとも違う。
そこでは言葉は在ったり無かったりである。そんな事とは関係なく、超越的な感覚は私達の意識に飛び込んでくる。
そして意識の内側から一切の認識を綺麗さっぱりと変えてしまう。
悟りとか、覚醒とかいう言葉はあくまでも言葉であり、その状態を説明する為の言葉である。しかし、これとて、言葉となった以上、空虚である。
それは、それら一切の言葉の彼方にあり、説明不可能なものである。

もし、このようなインスピレーションを経験したくば、過去に存在する、どのような修行も効果がある。勿論、マーヤは含んでいる。
しかし、感覚を磨く為に必要な事はどんな方法であれ、効果はあるはずである。
何故ならば、修行とは、そのために編み出されたものであり、私達人類はそれを経験するために、莫大な努力と経験を積み重ねてきたからだ。
それはかくも必然的なことであり、人類とってかけがえのない財産なのだ。
これを正しく使うことが出来れば、私達は有益な結果を得る事ができるであろう。
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by mikokoro-org | 2013-10-08 22:23