居場所

今日ある人と話をしていて、とても懐かしい感覚が蘇った。
もうかれこれ17年ほど忘れていた感覚である。
私を幼少期から苦しめ続けた原因であり、全ての始まりであったあの懐かしいマーヤの感覚である。
それは、自分が正しい場所にいないという感覚である。
どこに居ても、襲いかかってくる自分とその場所との違和感である。
結果、私は自分の正しい居場所を探して放浪し続けた。
唯一チベットの寺院だけが、ひと時その感覚を遮断してくれたが、暫くすると、またここに居るべきではないという猛烈な違和感に支配されるのだ。
結局、私はこの自分がフィットしない感覚に悩まされ続けた。17年前までは…。
ここ17年、この感覚は一切私を悩ますことは無くなった。
何故ならば、自分の居場所を見つける事が出来たからだ。
自分の居場所とは自分の内にある事に他ならず、外に求めて得られるものではない。
ただひとつの存在が在り、あっちとこっちを隔てているものは幻想に過ぎない。
あっちもこっちも無く、在るのは唯一なるものだけであり、そここそが、私の居場所なのである。

幼少期から苦しめられてきた実態の無い苦しみは、私を背後からせき立て続けた。
しかし、その結果の今が在り、私は今宵も喜びに満たされる。
至福こそが自らの正体であり、自分を剋するものは何もない。
人類はもっともっと幸福になれる。







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by mikokoro-org | 2017-07-16 23:41