ツォペマ

北インドのヒマーチャルプラデーシュ(州)に、ツォペマという小さな湖の聖地があります。ここは、ヒンドゥー、シーク、仏教など、あらゆる宗教で、聖地として崇められている場所ということもあり、多くの異なった宗教の信者達が集う、ちょっと異例な場所です。
私はこの地が好きで、何度か訪れています。チベット仏教の開祖である、パドマ・サムバーヴア(グル・リンポチェ)の有名なエピソードがある土地で、大昔、ここはサホール国と呼ばれておりました。グル・リンポチェはこの地で、修行を行い、更にはマンダラヴァという二大明妃のひとりを得た場所として、有名です。
現在はグル・リンポチェが修行したとされている湖を見渡す山の上の洞窟寺院をはじめ、湖畔にニンマ派やカーギュ派の寺院があります。

私がツォペマに滞在していた時は、ニンマ派のお寺に滞在し、早朝まだ暗い4時からゴンカン(守護神堂)で始まるソルカという超キワモノ的なお勤めに参加したり、カーギュ派のお寺で五体投地をして過ごしていました。
この頃は加行の最中で、10万回の五体投地に励んでいました。チベットでは、修行を始めるにあたって、この10万回の五体投地は避けては通れない行なので、篭りながらある程度まとめて集中的にこなしていきます。それこそ、一日中やることになるので、結構な体力が必要になります。更には、チベットの僧侶などは、毎朝108回をレギュラープラクティスとして行なっている者も多いので、みんな相当なマッチョです。修行者というと、どこの宗教でも、痩せ型の人が多いのですが、チベットの修行者はみな逞しい体をしています!ダライ・ラマ法王も、相当な体格です。
これは、みな、五体投地というマッチョな行をしているからです。
私も毎日108回こなしていましたが、7〜8年ほど前に健康診断したら、血尿が出て、「何かハードな運動してませんか?」なんて看護師さんに聞かれて、あえなくドクターストップがかかってしまいました。

さて、話は元に戻ってツォペマです。
私は、この地には、相当深い思い入れがあります。
何が?と言われると困ってしまうのですが、初めてこの地を訪れた時、到着したのは既に暗くなっていて、行き当たりばったりで宿をニンマ派のお寺に決めました。雨がしとしとと降り、カビ臭い宿坊が陰気で、なんとも言えない雰囲気を醸し出していました。木造りのガランとした建物は、どこか懐かしく、昔、宮崎県の従姉妹と泊まった日南海岸の学校の校舎を思い出しました。
あきらかなる、異界の気配を感じてなかなか寝付けずにいると、まだ夜中にもかかわらず、遠くから太鼓の音が微かに聞こえてきました。眠れず寝返りばかりうってても仕方ないので、ベッドを抜け出して、外を探索してみました。音のする方に歩いて行くと、ゴンカンという小さなお堂から、その音は聞こえてきました。
近づいてみると、外にはサンという神々を供養する為のお香がもくもくと焚かれ、ひとりの密教行者が太鼓を叩きながら、お経を読んでいました。薄暗いお堂の中は、灯明の灯りだけがユラユラと燃え、その壁には一面に髑髏や、人間を喰らう獰猛な神々の姿が描かれ、チベット特有のムードが漂っていました。
私はいけない物を見てしまった感があり、そそくさと立ち去ろうとしましたが、鼻眼鏡越しにチラリとこちらを見た老行者が読経を続けたまま、私を手招きしました。そこに座れと手で合図をしたので、私はそのまま、勤行が終わるまで、座り続ける事になりました。
そこに座っている間に、いろいろと観察できたのですが、それはそれはおどろおどろしい空間でした。
ほとんどのチベットのお寺には、このゴンカンという守護神堂があり、そのお役の僧侶や行者が神々を鎮める為に、このお勤めを夜中から毎日欠かす事なく行なっています。
そして、その勤行が終わる頃になると、やっとあたりが明るくなってきました。
お勤めが終わると、行者はお勤めの最中とは全くの別人のようにニコニコしたお爺さんになりました。あの張り詰めたような空気は正に、異次元の扉が開かれた状態から来るものだったのですが、その中にあっては、行者は全身のエネルギーを集中し、完全なる戦闘態勢だったのだと、後でわかりました。
このような面白い経験もあり、更にはそのお寺の雰囲気や、山の上の洞窟寺院など、どこか懐かしいような、私の魂を揺さぶるようなものが、ここには沢山あるのです。
あげつらうと、きりがないですが、何かに惹かれるのには理由は必要ないかもしれません。それは強力な引力のようなもので、引き込まれる事を拒む事は出来ません。
私は、そういった引力を持つ場所を幾つか知っています。
果たしてそれが、土地とのカルマなのか、もしくは土地のエネルギーなのか?
それは色々だと思います。
いずれにせよ、そういった場所で過ごすことには意味があり、そこには必ず、何らかの意図があることは間違いありません。
私はこういった沢山の稀有なる土地に導かれて生きてきました。そして、この貴重なる経験のひとつひとつが私にとっては、神の奇跡です。
私の若い頃の経験の記憶は、今思い出すと、過去生の記憶のように、遠く感じられます。勿論、この今の日本での暮らしと比較すると、あまりにもかけ離れているからです。ただ、面白いのは、これらの経験のひとつひとつが綺麗なひとつの道筋を描いていて、まるで物語が展開していくように展開し、完全なる宇宙の意思がそこにはっきりと見て取れるということです。
生きているのではなく、生かされていること。
行為しているのではなく、行為させられていること。
これらは、過激に生きれば生きるほどに明確になってきます。
私は、自分自身がこのように生かされてきたこと、行為させられてきた事を大変ありがたく思っています。
今となっては、ただ感謝あるのみです。
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by mikokoro-org | 2014-08-25 20:09