内省

内省とは、自分の意識の観察です。
辞書では、内観と同じと言う説明になっていますが、内観と内省はちょっとニュアンスが違います。内観は観ずることなので、観ることです。観るとは、瞑想であり、言葉を必要としません。
しかし、内省とは、反省であり、想起や言葉を通して理解される方法です。

私が普段提唱しているマーヤ解きや御心解きは、一言でいうと、この内省になります。
内省は常に省みることです。
創造主のプログラムを解読し、創造主が自分自身に望むことを理解し、日頃の行動や思考を反省し、常に謙虚なる心を持って、主に仕えることです。
瞑想や、修行をすれども、この内省を行わない事が、自己の内に誤った神の認識を作り出し、ダークサイドに堕ちるのです。勿論、修行者とて人間ですから、ヘマはいくらでもしでかします。しかし、内省を行うなら、その軌道は修正されます。
修行の結果、己が宇宙の中心であり、真我であり、神である。という認識はやってきます。しかし、内省を行うものは、この事実を謙虚に受け止めます。間違っても「俺は神だ!」とは、言いません。
自分が宇宙の中心だからこそ、この戒めが起こっているのである。と、考えるわけです。
私は、よく神様に怒られるという表現をします。何故かと言えば、全ては内省の為に起こっているからです。
怒られるとは、内省が促されるという意味であり、怒られるという認識が、自分で気付く事が出来なかった命題に、やっと辿り着く事ができるからです。
こうして、内省が出来る者は賢者となり、内省ができないものは闇に飲まれていくのです。
慢心を起こさない為に、内省を行うこと。
それが、安全な道なのです。
内省を通して、マーヤを解き、みこころを明らかにする。そして、その事から、自らを省み、学ぶ。
それが、賢者の道というものです。
[PR]

by mikokoro-org | 2014-08-22 20:22