愛の道標

愛の話が続くところで、ひとつ思い出噺を。
私が我が師、ミンリン・ティチンと出会ったのは私がまだ20歳の頃でした。当時はサキャ寺で修行していたのですが、サキャ寺の仲の良かったお坊さんの縁で、ミンリン・ティチン師と会う事ができました。以来、10年間に渡って師事させてもらえることが出来ました。26歳の時からは、3年間に渡って南伝のゾクチェンを学びました。
毎朝10時に師の部屋に赴き、1〜2時間に渡って教えの伝授と、前日の修行の問答が行われました。
こんな学習が3年間続きましたが、伝授も終わり、日本に戻る際に起こった出来事は、今だに忘れる事ができません。
当然、私は翌年も戻るつもりでいましたし、実際に飛行機のチケットも買って準備していました。しかし、神様のいたずらで、出発の数日前にキャンセルになってしまいました。それ以来、私はインドを訪れておりません。
もちろん、師の最期も後から知ったほどです。
師を心から敬愛しているのにもかかわらず、現実的な行動には一切出ることが出来ないというのも、定めであり致し方ないということは、今ではよくわかります。

私が師の元を去る日、師を訪問すると、師は私を全く見ることなく読めないはずの英語の雑誌をひたすら読むふりをしていました。私はひたすら、師の次女と話していました。子供の様に目をクリクリさせながら嬉しそうに笑う師しか見たことがなかったので、この明らかにおかしな態度に私は混乱していました。
しかし、自分でも、これが師との今生の別なのでは?という不安を感じていたこともあり、心は絶望感に完全に支配されてしまいました。
そんな中、いよいよお暇という頃に師は手にしていた雑誌を横に投げると、私の目を凝視し、近くに寄れと手招きしました。私は近づき平頭すると、師は渾身の力を込めて背中に強烈な一撃を食らわせました!近くにいた娘も、初めて見る光景に、思わず驚きの声が出てしまったほどでした。
その一撃は背中を貫き魂に突き刺さりました。肺から空気が抜けるとともに、頭は真っ白にな状態になり、完全なる静寂が支配しました。
まさにその一瞬、全ては完璧でした。

暫らくして顔を上げると、何時もの師らしくニコニコと笑っていました。ただ、何時もと違っていたのは、目には涙が光っていたことです。
そして、師は最後の教えを説きました。

「もし、お前が、私との愛の誓いを
忘れなければ、私はお前と共にある。

もし、お前が愛によって生きるなら、
私の教えはお前とともにある。

私の教えは愛だけである。

愛こそが全てである。」

「さあ!行きなさい。お前の為すべき事はここでは無く日本にあるのだから!」

私はもう、あまりの極限状態で泣いていました。
師も、そして娘も泣いていました。
部屋全体を究極の愛が満たし、全てを輝かしていました。
これが答えなのだ。ということも理解出来ました。
その瞬間、私はそこで宇宙を経験していました。
そこでは全てが完璧でした。
これほどの愛が存在するでしょうか。
愛は意志のある生き物のようにそこに存在していました。
それは生き生きとして、それ以上のリアルなものは存在しないというくらい、リアリティに満ちたものでした。

しかし、程なくするとマーヤが再び発動し、この全ての経験が単なる記憶となってしまいました。

そして、この時を最後に今生で師に会うことはありませんでした。
しかし、その愛は私に受け継がれています。こうして、日本で生きながら、その愛は消えることも、また衰えることも無く、日々私の中で輝きを放っています。
焚き火の炎から飛び散る火の粉が新たなる炎を生み出すように、愛の火花はこうして伝承されて行くのです。


これが、愛の道標であり、稀有なる機会であり恩寵です。
その恩寵の為に為される努力こそが私達が為すべき努力です。
過去、沢山の修行者達がこの様な恩寵を通して、道を成し遂げてきました。
このような体験は現代においては確かに少なくなってきているかもしれません。
しかし、この様な師弟のやり取りは過去から現在まで、連綿と受け継がれてきていますし、これが、オーソドックスな道の次第です。
一般的社会に生きている人間に、愛の本質を理解することは不可能とは言わないまでも、大変困難なことです。何故ならば、愛そのものを生きている人を見つける事は難しいからです。
こういった修行経験を通して弟子として師から愛を伝達してもらった時、私達は愛というものを理解し始めるのです。
この伝統はあらゆる教えの中に、実際に生きています。

私は、これからの人類がこの様な体験を通して、真の価値ある経験を得られる機会に恵まれることを願い、そして、いつの日かその愛に飲み込まれる時が訪れる事を切に祈っています。
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by mikokoro-org | 2014-07-04 11:30 | 我が師