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悟りが悟る。

今日は面白い質問がありました。
「人が悟るのではなく、悟りが悟るとはどういう意味なのですか?」
というものです。

もし、人が悟るならば、悟りとは起こるもの。達成されるものということになります。しかし、それでは悟りの本来の性質ではなくなってしまいます。
悟りとは無限で永遠なものです。無限で永遠ということは、それはすでにあるものであり、達成されるものではありません。ただ、明らかにされれば良いだけのことです。
なので、人が悟るという認識は誤ったものであり、誰も悟りません。
しかし、悟りという経験は確かに起こるものであり、この辺は矛盾してきます。
そこで、では、人が悟らないなら、誰が悟るのか?ということになってきます。
そうなると、悟りを得るものは悟り以外に考えられません。
よって、悟りとは悟りによってしか、経験されないのです。
誰が悟るのか?
悟りが悟るのです。

イブン・アラビーというスーフィーのマスターは、神が現れる時、私はどの様な目で神を見るのか?
という詩を書いています。
神以外に神を見るものはおらず、よって、神が現れる時、神を見るのは神以外の何者でもないと、言っています。
これも、意味としては全く同じ事です。
神という遍在者。無限で永遠なるもの。
それは、明らかにされるものであって、達成されたりするものではないのです。

また、インドのティローパは、悟りを無達成を達成する。と表現しています。
達成される性質のものではないが、達成されなければ達成されるものではないということを、わかりようがない。故に、達成するものではないということをわかる為に、達成しなければならない。と、言っているわけです。
なんとも素晴らしい表現だと私は思います。

by mikokoro-org | 2013-12-23 00:18