あるがままに

あるがままに生きるとは、色即是空、空即是色と般若心経で説かれている教えです。色とはこの世界のことです。そして、空とはこれらが存在しないという意味です。これは、前に書いたタントラ的な表現なのですが、色とは空なり、また空とは色なりという、相対の解決方法です。この世界と空性は相入れません。しかし、強引にこの世界は空であり、かつ空とはこの世界なのである。と、結論付ける訳ですが、この手間のかかる方法で表現することによって、結局、元に戻ってくる。つまり、コインの裏の裏は表である。という表現をしているわけです。
もうひとつ分かりやすく表現すると、禅に十牛図というのがあります。
十牛図では。10枚の絵を通して悟りの段階を教えているのですが、ここにも、同じ表現があります。8枚目に円相が描かれ、全ては空性なりと、表現されます。そして9枚目には花、10枚目には布袋さんが、酒を担いで現世に降りてくるという絵が描かれています。
空性の経験をした後、我々のこころは一輪の花のように自然に還る。そして、この世界に帰ってくるのです。
この一連の描かれている世界観は正にコインの裏の裏は表であるという話であり、わかるべき事はこの世界を離脱し空性を理解し、そして元居た場所に帰ってくるのだ。ということです。
私の師は、この世界は存在するともしないとも言えない。と、言っていました。時間や空間も、私という存在も、全て、無い訳では無い。それは有るとも無いとも言えない。と、私に教えました。後に、その意味を深く知ることになるのですが、これこそがタントラの真骨頂なのです。この世界が有ると言えば、唯物主義になるし、この世界が無いと言えば虚無主義になります。タントラでは、有るとも無いとも言えない。と、表現することで、私達の存在を明確にします。これが悟られて、初めて人はあるがままに生きられるようになるのです。
唯物主義では生きるとは物質に頼って生きる事になり、それは裕福さが幸福の証しとなり、勝者と敗者という格差を生み出します。勿論そこに救いはありません。また、虚無主義では、世界は存在しないという結論に達しながらも無意味な人生を生き続けなければならないという答えのようで答えでない余生を送らなければなりません。
色即是空、空即是色。
このフレーズは一時期流行りましたが、空性を分かっていないのに、色即是空空即是色は勿論あり得ません。
空性を理解したという事が前提になります。そこを理解した上で、空即是色となる事が、あるがままになるということです。
更に、私の理解をもうひとつ付け加えると、これらは、必然性を前提にしなければ、実は成り立ちません。必然性という前提があるからこそ、人はあるがままに生きられるのです。偶然性が前提だと、あるがままに生きると、どこに連れて行かれるかわからなくなります。そんな恐ろしい事はありません。偶然性によって成り立っているなら、死ぬほど努力しなければならなくなり、あるがままには生きられません。必然性を土台とするからこそ、起こる事は必然であり、必然であるが故に騒いでも仕方ない。騒いでも仕方がないなら、あるがままに生きよう。そう捉えることが出来て、はじめて終わりが見えてくるのです。
もちろん、真理の次元においては始まりも終わりもないのですが…。
正確には、始まりも終わりも有るとも無いとも言えない。が、正しい答えでしょう。
その必然性を後ろ盾に、あるがままにくつろぐこと。これほどに安楽なことはありません。
そして、その為にはその経験を積んで行くしかありません。何故ならば、頭で、あるがままだ。と、思っているだけでは、まだ、真のあるがままの状態にたどり着いているわけではないからです。これらは、全て頭の理解の上に成り立っている訳ではありません。
これらは、魂で体得されるものであり、その結論は揺るぎの無いものです。
この境地にたどり着くこと。
それが、私達にとって、真の安らぎとなるのです。
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by mikokoro-org | 2013-11-02 00:25