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汝の主

今日は先日受けた質問から。
「先生の解答は時にアドヴァイタ的であったり、ドヴァイタ的であったりしますが、どう捉えたらよいですか?」
というものです。
面白い質問ですね。皆さん混乱してしまっているみたいです。

さて、では実際の所はどうなんでしょうか?
基本的には、私はどちらとも言えません。私にあるのは実在。私的には神様という言葉ですが、皆さんが捉えている神様と、私が捉えている神様は必ずしも一致するとは限らないので、普段は神様という表現は控えめにしてはいますが、私にとっては、それは神様です。
そして、私にはその神様への畏敬の念あるのみです。その絶大なる愛、力、そして、その叡智の前では愛する事あるのみです。
アドヴァイタとか、ドヴァイタとかは言葉であり、概念です。私達の脳はなるべく認識に一貫性を持たせようとします。でなければ納得出来ないからです。故に、どちらかひとつを選びたがるのですが、実際、アドヴァイタにしてもドヴァイタにしても仏教にしてもヒンドゥー教にしても、それらは人の脳の認識であり、それはさして重要な事ではありません。
大事なのは、私自身がどう答えを認識するかです。
少なくとも私にとって、それらのタイトルはどうでも良いのです。
ですから、私の場合は質問してくる方や、その場にいる方に合わせて言葉が勝手に出るに任せています。そうすると、時にアドヴァイタ的になり、時にドヴァイタ的になるのです。それはその瞬間、そこで必要なことが起こっているだけなのです。私は全てをただ、私の主に任せているだけです。
私にあるのは、私達が抗う事の出来ない、大いなる者への畏敬と、全託のみです。
これが私の在り方であり、私が教えられた全てです。
ですので、皆さんは私の話を聞く時に、そのように理解してもらうと混乱しなくて良いかもしれません。

最後に、私が大好きなイエスの言葉があります。それは、

ー汝の力の限り
汝の主を愛せよー

by mikokoro-org | 2013-09-27 00:16