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完璧さ

完璧とは、完璧なる状を表す言葉であり、
完璧なる状とは、
完全無欠という事である。

完全無欠とは、
我々が意識していない、
何の変哲も無い日常であり、
無価値であるとさえ錯覚されるものである。

意味のある出来事も、
そして一見意味の無さそうな出来事も、
全ては完璧であり、
その一瞬一瞬が完全無欠なのだ。

無駄な瞬間など存在していない。
全ては完璧であり、
私達はそれを通して唯一なるものを
見出すことができる。

何故ならば、
全てが完璧なのは、
全ての源が完璧である事に他ならないからである。


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by mikokoro-org | 2017-07-29 00:37

真理を知る方法とは?

まず、あなたがこの文章を読んでいるということは、
何らかの端末の画面を覗き込んでいるということだ。
この瞬間にも、あなたの面前には真理が開示されている。

問題はただ、その事に気付いていないということだ。
両目でこの文章を読んでいる時、
あなたにはあなたの鼻が見えているだろうか?
片目を閉じればよく分かる。
あなたの視界には鼻が入っている。
片目で見るとはっきり見えているものの、両目で見ると上手いこと見えなくなってしまう。
しかし、見えていないからといってそれが無い訳ではなく、あなたの鼻ははじめからそこにある。

真理というものはこれと同じことである。
それははじめからそこに在り、
錯覚によって見えなくなっているだけである。

真理、それは私である。
私というのがあまりにも当たり前すぎて、
それが自分にとっての真理であることを見えなくさせているのである。

聖書曰く、
神は自らの似姿をもって…と。
自分自身を良く見てみれば、
そこには神の姿が在るということだ。

自分にしても、他人にしても、世界にしても、
そして、宇宙にしても…

そこには、真理しか存在していない。
最早、何を見ても真理のみである。

ただ、我々は錯覚。
マーヤという錯覚によって、
大事な事全てを見逃しているのである。

瞑想では、鼻先を凝視せよという。
鼻先を凝視するとは何が真理なのかを我々に思い出させてくれる。

これが理解出来れば、
理解はさらに広がるはずである。







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by mikokoro-org | 2017-07-26 00:00

悟りのパラドックス

あるマスターは悟りがあると言い、
あるマスターは悟りは無いという。
我々は混乱するばかりである。

覚者にとって悟りは無い。
何故ならば、悟りとは絶対的な答えであり、
絶対的な答えとは永遠不滅なものであるからである。
永遠不滅とは無いという事が無いということであり、
すなわち在るということである。
悟りとは彼方にあるものではなく、
今、この瞬間に存在しているものである。
もし、今ここにそれが無いならば、
それは永遠では無く、
よって悟りとは絶対的な答えとは言えなくなる。
そうなると、悟りに意味は無くなる。

人が悟っていないのは、
単にマーヤであるということであって悟りが無いという訳では無い。

しかし、それをわかっていないものには、
自分はまだ悟っていないと錯覚してしまう。
よって、わかっていない者は悟る事によってしか、
悟りが無いという事に気付く事は出来ない。

故に、あるマスターはその弟子の意識の次元で話す。
悟りを目指しなさいと…。
しかし、あるマスターは絶対的な境地から話す。
悟りは無いと…。

如此く、悟りとは既に在るものであり、
彼方に存在するものではない。

これがパラドキシカルな悟りのふたつの側面である。








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by mikokoro-org | 2017-07-17 00:02

居場所

今日ある人と話をしていて、とても懐かしい感覚が蘇った。
もうかれこれ17年ほど忘れていた感覚である。
私を幼少期から苦しめ続けた原因であり、全ての始まりであったあの懐かしいマーヤの感覚である。
それは、自分が正しい場所にいないという感覚である。
どこに居ても、襲いかかってくる自分とその場所との違和感である。
結果、私は自分の正しい居場所を探して放浪し続けた。
唯一チベットの寺院だけが、ひと時その感覚を遮断してくれたが、暫くすると、またここに居るべきではないという猛烈な違和感に支配されるのだ。
結局、私はこの自分がフィットしない感覚に悩まされ続けた。17年前までは…。
ここ17年、この感覚は一切私を悩ますことは無くなった。
何故ならば、自分の居場所を見つける事が出来たからだ。
自分の居場所とは自分の内にある事に他ならず、外に求めて得られるものではない。
ただひとつの存在が在り、あっちとこっちを隔てているものは幻想に過ぎない。
あっちもこっちも無く、在るのは唯一なるものだけであり、そここそが、私の居場所なのである。

幼少期から苦しめられてきた実態の無い苦しみは、私を背後からせき立て続けた。
しかし、その結果の今が在り、私は今宵も喜びに満たされる。
至福こそが自らの正体であり、自分を剋するものは何もない。
人類はもっともっと幸福になれる。







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by mikokoro-org | 2017-07-16 23:41

宇宙の臨在

夜、研ぎ澄まされた意識と共にあると、
それは、すぐそこに存在していた。
それは、我々の理解を遥かに超えた存在として、
かつ認識されるものとして、そこに存在していた。

我々が意識を持った存在であるように、
この宇宙にも大いなる意識が存在している。

我々は犬や猫の意識はなんとなくわかっても、
植物や虫の意識を理解する事は難しい。
宇宙には我々の理解が及ばない領域が存在している。

これは我々の普段の意識では到底理解し得ず、
マーヤを超えた先にしか存在しない答えである。

例えぱ数学でも、
解答できない問題に答えが無い訳ではない。
問題の解き方が解らないだけである。

同じように、我々はこの宇宙の意識の見つけ方が解らないだけである。
正しくこの難問に向き合うならば、
答えは必ず明らかになる。

何故ならば、
かつてこの難問に向き合って答えを出せなかった人間はいないからである。

良い例が、
この難問に答えはある。しかし、私にこれを解く知力が無い。と悟るとすると、その答えによって、答えが明らかとなる。
なぜならば、結局の所、求めていたのは人生の答えだからである。
この様な形で真理に到達した者は数えきれない。

我々はただ、解き方が解らないだけなのだ。

夜、耳を澄まして沈黙の宇宙に耳を傾けると、
絶対的な存在の臨在を感じる事ができるはずである。












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by mikokoro-org | 2017-07-14 01:00

私達は自分自身を軸に日々生きている。
これこそが、自分自身を苦しめている原因である。
自分らしさとは?
自分の存在の意味は?
自分の天職は?
自分の人生の意義は?
自分、自分、自分!
なんでも自分が中心だ。
勿論、生きているのは自分であり、
自分が中心なのは最もな事だ。
自分探しは終わりの無いループであり、
ここに答えは無い。

答えは常に唯一であり、
いくつも在る訳では無い。
もし、答えがいくつも在るならば、
それは最早答えでは無い。
答えはひとつであるが故に答えと言われるのである。

我々が日々生きていて混乱する時とはどんな時だろうか?
思い出して欲しい。

それは答えが出ない時。
選択をしなければならない時。

1+1は明確なる答えが在るからこそ、
答えであり、それは混乱を招かない。
もし、答えがいくつもあったとしたら、
数の世界は混乱し、世界は迷妄に陥る。

私達は個々に答えを求め、
そこに答えが在ると思うマーヤによって
答えが在ると思い込まされている。

実はそこには答えは無い。
1+1の答えがいくつも存在することが無いのと同じで、
人それぞれに答えがある訳では無い。

私達が求める答えとは、
全ての人にとっての答え。
全ての人に共通の答えである。
答えは全ての人に共通でなければ答えでは無いのだ。

そして、その全ての人にとっての共通の答えとは、
この全宇宙にただひとつの実在が存在しているという事である。

私達は、あなたも私も、
ただひとつの実在の部分なのだ。

だから、私の事はどうでも良い。
全体性を理解することが自己の解放の道である。

この真理を理解した時、
自分自身の人生の真実が明らかになる。
その真実とは、
我々は唯一性の部分であり、
それぞれに重要な役割が在り、
それぞれに自分らしさ、存在の意味、天職、
そして、人生の意義というのを持っているという結論である。

あなたにはあなたにしか成し得ない役割があり、
世界はあなたを通して世界を見、
あなた無くしては世界も無く、
自分自身こそが、知りたかった答えそのものであり、
もし、あなたが存在しなければ世界もまた存在しないという絶対真理に到達するのである。

故に、自分自身を知りたければ、
まず、自分をどうでも良いと思える事が出発点である。

但し、愛を持って。













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by mikokoro-org | 2017-07-06 00:34

あべこべ

我々の誰もが幸福を求めているにも関わらず、
何故、我々は幸福では無いと感じているのだろうか?
何故、あべこべになってしまうのか?

答えは簡単だ。
私達は本当に大切なものをどうでも良いと思い、
どうでも良いものを大切だと思っているからだ。
本質的なところがひっくり返っているから、
全てがひっくり返るのだ。

もし、幸福を求めるなら、
本来大切にするべきものが何なのかを探さなければならない。


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by mikokoro-org | 2017-07-05 00:52