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三人の理解

眠っている者と、
半ば目覚めている者と、
完全に目覚めている者がいた。

ある時、眠っている者が起こる出来事は偶然だと言い、
半ば目覚めた者が起こる出来事は必然だと言い、
言い争いになった。
それを見ていた完全に目覚めた者は、
この全てが必然だと見ていた。

これは、ものの捉え方の問題だが、
半ば目覚めた者は必然だという考え方をしているだけであって、本当に必然だということを理解している訳ではない。ところが、完全に目覚めた者は、全てが必然であるという理解を体験を通して真の理解に到達している為、こういった論争に巻き込まれる事がない。彼の眼には全てが完璧に見えているのだ。

我々からすれば、完全なる理解に到達した者を理解する事は宇宙人と友達になるようなものだ。
その頭の構造を理解する事は不可能に近い。
よって、彼を知る事は出来ない。
しかし、我々自身が完全なる理解に到達するならば、彼を知ろうとしなくても、彼を理解する。
もはや、我々も宇宙人になったのだから。
叡智というものは、このように、知る者だけが知る事であり、常に、少数の人間によって明らかにされているのである。









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by mikokoro-org | 2017-06-30 23:11

自己に於けるふたつの認識

我々は二つの認識感覚を持ち合わせている。
ひとつは自分の外側の感覚の認識であり、
もうひとつは自分の内側の感覚の認識である。
付け加えるなら、このふたつ以外に世界を認識する感覚を私達は持っていない。

これは人それぞれに、感覚の差異はある。
よって、人によって私や世界の理解と認識は異なる。
あくまでも個人の世界観は個人のものであって、他人と共有できるものではない。

が、しかし、外側にしろ内側にしろ、究極的な答えは万人に共通する。
ただひとつの答えが存在し、答えはひとつであるが故に答えであって、全ての問いへの唯一の解決の道である。
ただし、そこに至るまでの経緯や経験の差異から、答えの導き方には個性が現れる。

内側に於ける答えは普段自分だと思っている自分の不在が答えであり、
外側に於ける答えは全ての根源が存在している。という答えが答えである。
片方の答えは無であり、片方の答えは有であるということである。
しかし、外側の答えである根源とは全てを生み出す源であるが故に、生み出される前から存在し、そして生み出された後も変わらず存在している為、それは無いという事が無いという意味であり、無いという事が無いという事は在るということであり、この在るという事は絶対的な在るであり、絶対的な在るとは時空を支配していて、更にはそれをも超越しているという事である。
また時空を超越しているこの状態は不滅であり、不滅であるこの状態は個人の内側の無いという理解にも影響を与える。
自分というのは無いにも関わらず、在るという事を前提としている為、自己の本質は在るということなのである。自分は無いけれども自己の本質は在る。
これがふたつの認識のそれぞれの答えであり、又、ふたつの認識のひとつの答えである。













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by mikokoro-org | 2017-06-19 23:14

必然性

静寂に包まれる夜。
静かに物事は進行し、
完璧に展開される。

この仕組みが理解されると、
宇宙が機械仕掛けのように見えてくる。
あらゆるものは必然的にそこに存在し、
あらゆるものは必然的に動かされている。
役割りの無いものなどはひとつも無く、
全てが為すべき行為を為している。

それらひとつひとつの出来事には
明確なる理由が存在し、
これらの共時性が我々を目的へと導く。

我々の存在には
存在の理由がある。
そして、存在する目的が在る。

我々の存在も、
そして出来事も、
全ては大いなる意志に依拠する。




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by mikokoro-org | 2017-06-17 00:59