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真の探求

自分が

わかっていないと、

わかった時、

そこからが、真の探求の始まりである。

私達はなにもわかっていないのだ。
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by mikokoro-org | 2014-04-26 00:50

神という理解

例えば、覚者が
神と言った時、
私達にその言葉を理解することはできるが、
その意味を理解することは出来ない。

私達に覚者が理解しているように
言葉を理解することは出来ない。

何故ならば、彼等はそれを頭で理解しているわけでは無いからである。
彼等の理解は魂の理解であり、
私達の理解は頭の理解である。
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by mikokoro-org | 2014-04-26 00:33

観じる事。

開放は、
それを観じる(感じる)力から生じる。

頭で理解するのではなく
直観的に(直感的に)知るのだ。

そして、その智は得るものではなく、
与えられるものである。

その恩寵が在れば、
私達はそれを如実に知る。

それは、あたかも
私達が目の前の物を見ているにもかかわらず、
その目の前の物を見ている目そのものを
見ている様なものである。

私達に自分の目を見ることは出来ない。
しかし、恩寵があれば、私達は自分の目を見る事が出来ないということを観ることができる。

この理解は、
全てを結論へと導く。

しかし、これを頭で考えて理解しても
なんの意味も無い。

考えるのではなく、
観じるのである。
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by mikokoro-org | 2014-04-23 00:06

理解

この世界はマーヤである。
しかし、それは頭では理解出来ない。

例えるなら、
私達は海と湖を見分ける事が出来る。
何故か?
それは、それらを理解しているからだ。

同じように、
それと、これを、
理解するならば
この世界がマーヤであることを
理解する事が出来る。

この世界が存在しない。
と、思う事とは違う。
この世界は存在している。
しかし、これを頭では理解できない。

この世界は独特な在り様で
存在しているのだ。
存在しているとも、していないとも
言えない。

もし、私達が心の真髄でこの世界を見るならば、それは、有るわけでも無いわけでも無く、
在るのだということが
解るはずである。

頭で、有るとか無いとかを考えても答えに至ることは無い。

心で観ることである。
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by mikokoro-org | 2014-04-19 00:33

完全無欠

完全無欠
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by mikokoro-org | 2014-04-17 01:28

魂の理解

私達には、解っていない事が多過ぎる。
かの世界の事も、
この世界の事も。
解っているつもりになっていても、実は何も解っていない。

私達が、信じているもの。
理解しているもの。
それらは、頭の理解であり、その理解は人の頭の理解力に応じたものにすぎない。

実相を知れば、
今までの、この世界の理解も、
かの世界の理解も、
全てはただマーヤであるに過ぎないということが理解されるであろう。

何故マーヤなのかというと、
魂からの理解は
頭の理解を遥かに超え、
世界は、今までとは全く違う見え方になるからだ。

この世界も
そして、かの世界も。

普段私達が見ているのは
ただ、頭が見ているだけなのだ。
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by mikokoro-org | 2014-04-17 00:22

愛の現れ。

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部屋に籠って考えてばかりいても仕方ない。
野山に出てみれば、そこは命の力に満ちている。
そして、それをつなぎ合わせる愛がある。
私達は意味もなくここに居るのではない。

全てが愛の現れなのである。

考えるのではなく、感じる事。

全ては完璧だから。
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by mikokoro-org | 2014-04-08 10:11

全てはひとつ。

空性、真我、神、マザー。
一元、二元。

混乱するかもしれない。

しかし、実はどれも違わない。

月は満ちたり欠けたりするものだが、
それによって、月の何かが変わるわけではない。新月であろうが満月であろうが、そこにある月が変化しているわけではない。
変化しているのは見え方であって、それそのものではない。

同じように、これらの真理というものも、条件による見え方によって、時として神となり、時としてマザーとして見えるのである。
それらは別の何かではない。
空性も、一元も二元も、神もマザーも、ひとつなのである。
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by mikokoro-org | 2014-04-08 00:03

教えの真髄

現象にとらわれれば
マーヤとなり
それを見失う。

しかし
現象にとらわれることなく
この世界を見るならば
これは、それの現れであり
みこころであると
知ることができる。

問題は見方であり
現象そのものではない。

常に超越的に世界を見るならば
そこには、教えの真髄が在る。

全ては完璧なのである。
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by mikokoro-org | 2014-04-03 00:42