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頭の理解

教えを頭で理解する事は出来ない。
教えはとはハートで理解されるものだからである。

この道のどの教師も理解しているように、
言葉で教えが伝わることはない。

頭で理解しようとする限り
何も理解する事はないだろう。

ただ教師が伝えたいと思う事を
感じとるのだ。

全ては頭の理解を超えたところに
存在しているのだから。
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by mikokoro-org | 2014-02-27 00:06

マーヤ

私達はマーヤのなんたるかを
理解していない。

マーヤがどれ程のものなのかを
全く理解していない。

マーヤの真相を理解するならば
そこには悟りがある。

マーヤかそれしか存在せず、
マーヤによって
私達はこれが在ると
信じているのだ。

マーヤが知られれば
それが知られる。
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by mikokoro-org | 2014-02-23 00:33

大雪2

なんと、更なる大雪に見舞われましたね。
私達雪国の人間で無いものですから、この珍しい大雪に振り回されてます。
雪国の人達は、毎年、この大雪の中で日常のペースを崩すことなく過ごしているというのは凄い事ですね。
かつて、私はインドで、比較的涼しい時期に、ちんたら肉体労働をしているインド人を見て、彼らはなんと怠け者なんだろう。何故、もっとテキパキと仕事をしないのだろう?と、思っていました。
しかし、驚いたのはその半年後の事です。我々が、暑くて外にも出られないような日に、彼等はなんと、涼しい時期と同じペースで肉体労働をしているではありませんか!
私は思いました。彼等は暑い。とか、寒い。とかではなく、1番酷な時期にギリギリ働けるペースで、一年中働いているという事なのでしょう。10分働いて10分休むなんて、日本では考えられませんが、50度近い炎天下で10分ツルハシを振るうなんて、地獄ですよね。
私はその光景に唖然とし、インド人恐ろしい〜。と、思ったのを記憶しています。

何にしても、熱帯暮らす人々、雪国で暮らす人々。それぞれに、その土地に合った暮らし方があるというのが、それぞれの人間の知恵なのでしょう。
凄いですな〜。
大雪の中、そんな事をつらつらと考えていました。
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by mikokoro-org | 2014-02-17 00:32

大雪

大変な大雪で、皆さんも苦労されたのではないでしょうか。
私もこの2日間足止めを喰らいまして、教えはじめてかれこれ14年になりますが、初めて勉強会を中止するという事態に陥ってしまいました。
相手が自然だと、逆らうことも出来ません。
これがみこころというものです。
都会に住んでいると、こういった自然の脅威にさらされる経験をあまりしないので、つい、自分でコントロールをしようと思い、また、コントロール出来ると思ってしまいます。
しかし、ひとたびこのような出来事に遭遇すると、なにも出来ないという事を学びます。成る様にしかならない。委ねるしかないということです。
自分で出来事をコントロール出来ないということを学ぶのは大変有意義です。
人生とはそんなものだからです。

私も、子供の頃から常に不運に見舞われてきました。やることなすこと、常にタイミングがずれるというか、物事が上手くいったためしがなかったのですが、それも今となっては大変意味のあることだったのだと理解しています。
人生とは自分でコントロール出来るものではなく、常に誰かさんの手中にあるものなのだとわかることが出来たからです。
私達にはふたつの理解すべき事があります。
ひとつは内面に於ける理解。そしてもうひとつは外面に於ける理解です。
内面に於ける理解とは、内なる世界の理解であり、自分自身の自分とは何者なのか?という内的葛藤に対する答えを知ることであり、外面的理解とは、起こる出来事に対する理解です。
出来事の真の理解を得る為には、物事が上手く行ってはいけないのです。現象面の出来事が上手く行くと、物事は思い通りになるという錯覚をしてしまいます。思い通りになるという錯覚は、物事を自分でコントロールしているという感覚を目覚めさせ、ついには必然性を理解出来ない脳になってしまいます。しかし、物事が思った様にいかなければ、何故上手くいかないのか?ということを探求し始めます。結果、その探求は結論へと私達を導きます。
その答えこそがみこころであり、私達に委ねるという行為を気付かせてくれます。ある意味で、信仰生活の核心とも言える境地です。
もちろん、この境地は好む人もいれば好まない人もいます。
人生は人それぞれです。何をどう体験し理解するかは、誰かさんが決めることです。その権限は私達にはありません。
それ故に、必然性を好まない人もいて然るべしなのです。
何故ならば、それをその人が好まないのもみこころなのですから。
私からすらば、お手上げになることは、悪い事ではありません。それどころか、その度に、私達は答えに一歩づつ近づいているのだと理解しています。
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by mikokoro-org | 2014-02-09 17:47

絶対

絶対者とは文字通り、絶対であるということである。絶対とは絶対という意味であり、絶対であるが故に、絶対でないものが存在しない。ということである。ということは、全ては絶対であり、完璧であるということだ。
絶対という対を絶するの意味は、対が存在しない事である。対が存在しないとは、二元を超えた存在であるということだ。しかし、二元を超えて一元になると、一元と二元という相対が生じる。そうなると、これがまた対になってしまう。よって、絶対とは一元も二元も超えていなければならない。その意味するところは、実は、一元も二元も無いという事である。
二元を否定して一元になることとも、一元を否定して二元になる事とも違う。
絶対者はその対を超越しているのである。
それが絶対者であり、私達の根源である。
絶対者を源として存在している私達は完璧であり、絶対に含まれている。
全ては完璧であり、絶対である。
不完全に見える自分の存在すらも、ただ、そう見えているにすぎない。
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by mikokoro-org | 2014-02-05 01:01