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智恵と愛

人間に必要なのは、智恵と愛である。
智恵と愛は全てを解決する唯一の道である。
智恵とはこうだ。
人間は誤った認識によって苦しんでいる。しかし、真実は、私達が思っている様では無い。真実は、より甘美なるものであり、実は、全ては良き事の為に起こっているということである。
それを知る事が智恵である。

そして、愛は人生の全てを解決する力を持つ。私達は真の愛を求め、それが得られないがために苦しむ。
もし、自分が十分に愛されていることを知るならば、私達は救われる。
救いは愛によって為される。
私達が求める愛。
それは、それを知る者によって与えられる。
何故ならば、愛は全ての源であり、その力によって全ては存在しているからだ。
私達は愛されていることをただ知らないだけなのだ。
私達が愛し、愛され、そして、愛そのものに成った時、全ては完璧となる。
愛は一切の理屈を超えたところにあり、理解不可能なものである。
唯、それを経験し、それになることである。そして、それになることができれば、あなたからは、微笑みが溢れてくる。
その微笑が何を意味しているか。
それは、それを知るものによってのみ理解される。

それがそれだということを。
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by mikokoro-org | 2014-01-31 00:16

マザーデヴァイン

マザーデヴァインというと、女神的なものをイメージする方は多いと思います。しかし、マザーを理解する為には、より大きな母を知らなければなりません。
母とは全ての創造の源です。母から産まれて来ない者が存在するわけがなく、この世界のあらゆるものは母から産まれてきます。それは、即ち母とは全ての創造の根源であるという事の証明なのです。
母という力が、私達を産みだし、その存在が私達を究極へと導きます。究極へと導くというより、回帰させるということです。産まれてきた道を帰って行くのです。
日本には神社がありますが、神社参拝とは、正に、この母への回帰を意味しています。鳥居は女性器を、参道は産道、お宮は子宮を。ここまで書いてくると、ハッキリと解るはずです。よく、生理中の女性は鳥居をくぐってはいけない。などと云われていますが、それは、この意味に基づいているのです。
神社参拝を通して、擬似的に母への回帰をシュミレーションしているわけです。
要するに、母から産まれてきた私達は必ず母の元に帰って行くということです。
悟りとは、なにか新しいものに到達するという事ではありません。母への回帰であり、それは私達の存在の根源に既に存在している、状態です。
このことが、母、マザーデヴァインを通して明らかになる私達の本質であり、答えのひとつです。
この他に、心の本質から明らかになる答え、神という側面から明らかになる答え、空性という側面から明らかになる答え、など、異なった側面から見た時の答えがそれぞれあります。しかし、どれであれ、それらは結局は同じ事を意味しており、何が違うわけではありません。
ただ、わかっていない状態から見ると、異なって見えるだけです。頭で考えるからです。頭でなく、魂で直接理解することができれば、全ては同じことだということがわかります。

さて、これが母の理解です。
単純なことです。
私達の本質は母から産まれてきており、
この肉体も母から産まれてきています。

母以外から生じる何物も存在しないのです。
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by mikokoro-org | 2014-01-15 00:01

有る事と無い事。

有るか無いかという認識は、実に面白く出来ています。何故ならば、物事は有ると思えば、有るし、無いと思えば無いからです。
例えば、ある部屋にハウスダストが充満しているとして、アレルギー体質の人は、そのハウスダストを感知するので、それを有ると認識しますが、アレルギー体質でない人は、感知しないので、それを有るとは認識しません。どちらが正しいのか、正しく無いのかではありません。何故ならば、認識主体である自分がそれは無いと思うならば、それは本当に無いからです。問題は認識主体である私にとって、それは現実か現実でないかが問題であって、実際に有るか無いかは問題ではないからです。
昔、放射線やら電磁波やらが見つかってなかった時代はそれは無かったわけです。実際にはあったとしてもです。
問題は認識主体の側なので、それを自分自身がどう捉えるか?ということになってきます。
神が無いと思っている人にはそれは無く、神が有ると思っている人には、それはあるのです。
同じように、悟りも有ると思っている人には有り、無いと思っている人には有りません。
悟りを求める者は、それが有るという前提で、探求をしなければ、それは明らかにはなりません。
自分には起こらないだろうな。と、思っていると、実際に起こらなくなります。
自分には起こる。もしくはそれは既に有る。と、理解する事が、ポイントになってきます。
結局のところ、この人生を生きているのは自分本人であって、誰か別の人ではありません。よって、自分にとって現実ならば、 例えそれが無くても、それは現実であり、自分にとって現実でなければ、それがあったとしても、それは現実ではないのです。
あくまでも、自分にとっては自分こそが世界の中心であり、自分の他に中心は存在しません。その自分という主体。それが、あなたにとっては世界なのです。
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by mikokoro-org | 2014-01-11 11:55

年が明けて。

年が明けて、やっとペースが安定してきました。
私は正月は忙しく、昨日ぐらいまでバタバタしておりました。

さて、昨年から始めたこのブログですが、なんだかんだで順調に進みましたね。今年はどんな展開になるかお楽しみといったところです。
なにしろ、私は何もしていません。書けるのか書けないのかも、全く別の所で動いてますので、がんばりようもありません。ひたすらみこころに委ねるのみです。

明日は吉祥寺のお話し会です。
事実上初仕事になりますが、楽しみにしています。
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by mikokoro-org | 2014-01-10 00:28