<   2013年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

真実

日々は輝きの中にあり、
輝きは瞑想の中にある。

日々瞑想と共にあり、
瞑想は実在の中に在る。

実在は全てを包括して在り、
我ら存在の源である。

人生の意味を見出したくば、
実在を現実とすることである。

実在が現実となるならば、
実在は我ら存在を真実とす。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-30 23:53

耕作

d0320570_16295363.jpg


不毛な土地を耕作するというのは、骨の折れる作業だ。
石だらけで、鍬が入らない。

d0320570_16295465.jpg


そこで、ツルハシを使って掘る。
暑い中での重労働。しかし、時折、手を休めたふとした瞬間にスカーット意識が抜ける。

これが快感なのだ。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-30 16:20

パワー

d0320570_1212215.jpg


力強い自然が在り、
力強い命が存在している。

力はあらゆるところに宿っており
私達はその力によって生かされている。

もし、力が無ければ、
この世界も、
私達も存在し得ない。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-29 12:08

理由と目的

マーヤになるのは、
理由があり、
みこころこそがその目的である。

我々が存在するのは、
理由があり、
その意味を知る事こそが存在の目的である。

常に理由と目的があり、
そのひとつひとつを理解していく事こそが大目的である。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-29 00:14

ソース

この世界に存在している全ての物に
ソースが存在している。
そして、そのソースは
光か闇のどちらかである。

私達は闇のソースに慣れすぎてしまった。
子供の頃、怖い物やおぞましいものを見た時には、ゾッとしたり胸がザワザワしたはずである。
それは闇と眼が合ったせいだ。
闇と眼が合うことで、恐怖を感じていたのだ。
しかし、その機会に多くさらされる事で、私達は闇に慣れてしまう。
そして終いには闇のソースは私達の心に自由に出入りできるようになってしまう。
こうなると、もはや光明とは縁遠くなってしまう。
私達は光に向かって進まなければならない。
その為には、あらゆる物を見た時に、そのソースがどちらのソースなのか?という事を見分けられるようにならなければならない。
それを知るだけで、私達は浄化されていく。
識別をすること。
それが、私達を光明に導く。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-25 00:39

ひとりで旅をしていると、ある特殊な感覚が生まれます。
自分がひとりだけ存在しているという独特な感覚です。
私がこの感覚に明確に気が付いたのは、始めてのインドから帰ってきて、暫く実家に滞在した後、インドで出会った友人を訪ねて京都に向かう道中でした。東京駅の喫茶店でコーヒーを飲んでいる時、突然懐かしい感覚が目覚めてきました。長いこと旅をしていたので、自分にとって当たり前すぎる感覚だったのですが、東京の実家で暫く過ごすうちに忘れてしまっていた感覚でした。
その時、私は明確に旅の重要性を認識しました。
自己に深く潜り込む為に必要なものはひとりの旅だと。友達や家族との旅行ではだめです。あくまでもひとり旅です。
これはアシュラムや寺院などで修行するのとも違います。
人間の意識というものは、他人の意識とコミュニケートします。このコミュニケートが起こると意識は同調し、自己の存在に潜れなくなるのです。
なので、アシュラムや寺院などで修行していても、他者とコミュニケートしているので、例えアシュラムの一室に籠って瞑想していたとしても、コミュニケートは起こり続けています。こうなると、もはや存在に入り込むことは難しくなります。
しかし、旅の最中は回りに人が居ようが居なかろうが、誰ともコミュニケートしていないので、静寂が訪れてくるということです。
ひとりぼっちは寂しいと誰もが感じます。しかし、その寂しさこそが存在の姿であり、見つめなければならないものです。
多くの人はそれを恐れます。しかしそれを恐れては私達は存在に辿り着くことは出来ません。
私達はひとり勇猛に突き進まなければならないのです。
私達の存在は常にそこに在り、自己が静まるのをただ待っているだけです。
いつか私達によって気付かれる日を。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-24 09:39

都会の中で

今日は、野暮用で都会のど真ん中に来ています。待ち時間が多く暇なので、こんな時こそ、ブログの更新するべしですね。
ここはマーヤが完全に支配し、見るもの全てがマーヤによって出来上がっています。同じ現実でも田舎の風景とは全く別物です。田舎の山や川、木々や草花はマーヤの世界に在りながらも、それはマーヤというよりは母性の現れです。全てが生命力に溢れ、自然と調和しています。
自然の然とは、しかるべしであり、在る事がしかるべきであるという意味です。それは、マーヤというより、あるがままである事なのです。
田舎にいると、マーヤを感じるというよりも、より母性を感じます。母性の偉大なる創造。そして一切に命を吹き込む壮大なドラマ。爆発的なシャクティ。生きる事への感謝と愛が溢れてきます。
しかし、この都会では全てが人間の作為であるかの様に感じます。勿論これとても、実在の創造であることに違いはないのですが、あまりにも人の作為が満ちている為、みこころを不透明にさせています。人間が神を忘れ、その創造、必然、みこころ。そして愛を忘れてしまったのは、まさにこの都市という、人的作為という幻覚に惑わされてしまった結果でしょう。
人には自然の中での暮らしが必要です。無理でも、少なくとも休日には自然の中に入っていくべきです。
私達にとって必要なのはあるがままの自然という環境の中で、自分と自分の感性を取り戻すことです。特に、その中での農作業などは格別です。少なくとも私はその様に感じます。
しかしながら、都会の真ん中でこうしてブログを書いている今、ここには調和があり、私の存在は輝きに満ちています。
実在が全てを支配しており、人間の作為は全く力を失っています。
この感覚こそがマーヤの超越であり、都会の中に在ってそれを超える方法なのだと思います。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-22 10:17

マーヤという現実

世の中とは、大きなマーヤのうねりの中にあり、誰もが、この現実を疑う事無く、うねりに身を投じ、もがいている。勿論、私達にとってはこの世界しか存在していないし、この世界で生き残るしか道は無い。
そして、この現実に支配されるのでは無く、支配する側に立とうとする。
私達は終わる事の無い闘争の中に在り、それは生涯に渡って続いて行く。
果たして、私達は幸福に辿り着く事が出来るのだろうか?
私達に安息の日は訪れるのだろうか?
否である。マーヤの世界に在り続ける限り、その日は来ない。私達は生涯に渡ってこの混乱と憔悴が限りなく続く底なしの世界から脱け出すことは無い。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-21 23:03

存在

我々の存在は
我々の存在によって証たてられており、
まさに存在する事こそが
求める答えである。

ひとりひとりの存在は
ひとつであり無限である。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-20 10:48

究極の愛

その愛は、
見たことも経験したことも無い。
我々にとって未知なるもの。

その未知なる愛が存在している。

それは一切の表現を超え
知る者によって知られる。
[PR]

by mikokoro-org | 2013-08-18 01:08