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魔法とは言葉である。

私達は普段何の気なしに言葉を発していますが、私達が普段使う言葉というのは、マーヤを基本にしたものです。
私達は子供の頃に、言葉を憶えますが、言葉を憶えていくプロセスそのものがマーヤに基づいています。
この世界のことを理解し、学び、また表現するということは、このマーヤの世界で生きていく為に必要なことですが、その集積によって形成されている私達の言語感覚というのはマーヤに他ならないのです。
故に思考が問題なのではなく、その根底に横たわっているマーヤこそが問題なのです。

しかし、それとは違う言葉が存在しています。
これは叡智とも魔法とも呼ばれる言葉です。
それは、頭で考えることなく、一切の思考を通さず、やって来るもの。与えられるものです。
この様にして与えられた言葉は私達の支配下におかれます。
普通使っているマーヤ界の言葉は私達を支配していますが、このように与えられた言葉は逆に私達が支配出来るようになるのです。
その言葉に秘められた能力を最大限に使う事が出来るのです。場合によっては現実世界をも支配するようになります。魔法の言葉によって奇跡を起こす事で知られる魔法使いは、この言葉の支配を完全に成し遂げているということです。故に、魔法とは言葉であると昔から言われているのです。
そして、これを得る為に、昔から、聖天を読誦、誦唱してきたのです。
これによって、その言葉が指し示す意味。目的が魂的に理解出来るのです。
しかし、これにも段階があり、究極的な理解というのが存在しており、その理解こそが、私が今ここに伝えようとしていることです。
そして、この究極的な理解こそが、私達の人生を一変することになる力を持つのです。
では、それを得る為に私達には一体何ができるのでしょうか?
それは恩寵としか言いようがありません。ただ、それが起こるのをひたすら待つしかないのです。
その、待つという行為を指し示す言葉。それが修行です。

by mikokoro-org | 2013-08-06 00:12