青空

抜けるような青空が広がる日

空を見つめて過ごす事はとても良い。

こころと空が同調し

意識はどこまでも広がり行く。



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# by mikokoro-org | 2018-01-18 12:08

瞑想

瞑想とは足を組んで座る事ではない。

瞑想とは1日の全ての時間に渡って浸透する
精神の力である。

常に意図と気付きが目覚めている。
その様な意識の状態を瞑想と呼ぶ。

瞑想とは作為的なものではなく
自動的なものであり
その根源は恩寵から来る。

一元的か二元的かは問題では無い。
何故ならば、それはそれの意志だからである。

その意志を超えてなにかが我々に
起こる事は決して無い。

我々の日常も、そして非日常も
その意志によって起こっている。

頭で理解する事は不可能だ。
筋が通っているかいないかではなく、
ひたすらその意志の活動だけが存在している。

瞑想とはその意志により
その意志の結果として生じるものであり、
これは我々の努力願望を完全に超えている。

もし、瞑想が我々に起こっているならば
途轍もなく幸運なことである。

その目覚めと共に日々が在るならば
我々は実に恵まれている。









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# by mikokoro-org | 2018-01-12 00:25

存在意義

我々ひとりひとりに役割がある。

それぞれが存在するべくして

存在している。

それが我々の存在の意義である。

存在するべきでない人間など

ただのひとりも居ない。

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# by mikokoro-org | 2018-01-10 00:30

サイン

神は常に我々の意識を引き寄せる為に
サインを送り続けている。

私達にとって最も大きな問題は
そのサインに気付けないことである。

それは実にシンプルであり、
誰かに説明されれば納得出来るものだが

説明されなければ
気付く事は難しい。

なぜ気付けないのかと言うと
私達が全く違う方向を見ているからである。

何事も視点の問題である。
正しい視点が確立していればそれを見逃す事はない。

しかし、視点がずれていれば
見つけられるものも見つけられない。

現代においては
人類の視点は大きくずれている。

ここまでずれているとサインを見つける事は
至難の技となる。

大切な事は
自分と、自分のまわりで起こっていることを

常に客観的に観察することである。
そうすれば、些細な部分に神のサインを見つける事ができる。








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# by mikokoro-org | 2018-01-05 00:50

みこころ

みこころは細部にまで宿る
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# by mikokoro-org | 2018-01-05 00:45

理解

神の存在は圧倒的であり、

それは我々の普段の物事の理解の仕方と
全く異なった回路で理解される。

要するに、我々に神を理解する事は出来ない。

我々が普段祈る対象である神は神では無い。
我々が普段理解する神は神では無い。

しかし神はその全てを心得ている。
神でないものは無いからである。

神の側では理解されている。
しかし我々の側では理解されていない。

神を理解する事は容易ではない。

我々は神と繋がろうとして形式を重視する。
しかし形式を採った途端神は姿を眩ます。

如何なる形式もマーヤであり
それが神へと私達を導く事は無い。

それは常に形象を超えていて
我々の頭がそれを理解する事はない。

神を理解するものは神のみであるからである。

まあいずれにせよ全ては上手く行っている。







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# by mikokoro-org | 2017-12-29 00:30

計画

今の時代信仰は廃れ

人間はかつて経験の無い道に進んでいる。

しかし、嘆く事なかれ

これすらも全ては神の計画である。

全ては計画通りなのだ。

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# by mikokoro-org | 2017-12-28 01:34

概念

神は概念ではない。
それは真の存在だ。

それは神という言葉で
表現しきれるものでは無い。

何故ならばその言葉すら
概念だからである。

我々は概念に支配されている。
何を考えてもそれは概念になる。

神は我々の概念を完全に
超越している。

よって、概念によって
神を捉える事は出来ない。

それは実在であり、
我々の凡ゆる時間と場所に存在している。

マーヤが解け、
いかに自分が概念に支配されていたかを
理解する時。

神はその真の姿を現す。








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# by mikokoro-org | 2017-12-22 00:10

自己想起

災いは起こり始めると
立て続けに起こり続ける。

それはその元凶となるものが
見出されていないからだ。

そしてその災いの源とはマーヤである。
マーヤが全てを引き起こすのだ。

ボタンのかけ違いのように、
マーヤによって誤った認識を持つ事から始まる。

ひとつめのボタンが誤ってかけられると、
最後の最後まで狂いづける。

故に、しっくりしない出来事が続くなら
まず、どこからおかしくなったのかを思い出さなければならない。

自己想起をする事。
マーヤを見つけ初めの狂いを正す事。

そうすれば、厄介な出来事は
終焉するはずである。








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# by mikokoro-org | 2017-12-21 00:39

固定観念

マーヤを見つけるのは難しい。

なぜならば、マーヤ解きを知る前の自分はマーヤだからである。

今までの自分の全てをマーヤとして捉え
1から思考パターンを構築しなければならない。

過去の思考の全てをマーヤとして見る事が出来れば、
マーヤ解きを始めることができる。

我々の思考は条件付け、固定観念の塊である。
それはマーヤ以外のなにものでもない。

我々は過去に思考しているつもりであったものの、
それは思考というよりも固定観念である。

固定観念に出来事を当てはめるという
作業をひたすら行ってきたにすぎない。

故に自分の固定観念に当てはまらない出来事が生じると
思考はフリーズし自分自身を固定観念に当てはまらない落伍者と捉える。

こうして後悔と罪という認識が蓄積されて行く。
しかしこれはマーヤというものを知らぬ事より生じる無知である。

もし、我々が固定観念を持たぬならば
自由に思考する事ができる。

予想しない出来事に見舞われたとしても
あるがままに物事を見る事ができる。

我々は自己の思考に住み着く固定観念という魔物を
取り払わなければならない。

こうしてマーヤが解かれるならば
我々は自由を手に入れる事が出来る。










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# by mikokoro-org | 2017-12-19 00:32